旅行・地域

2014年12月 1日 (月)

京都番外編(西本願寺・東本願寺)

そろそろココログの容量が心細くなってきました。

ココログ内では、新しいアカウントを取得できそうになく、只今、gooに引っ越すための準備をしています。

今、試運転中のため、正式なご案内は、次回にしたいと思いますが、もちろん、「ポチッと!」機能は残すため、ココログブログは、しばらく残して、「ポチッと!」していきたいと考えています。

取り急ぎ、新しい住所:http://blog.goo.ne.jp/senaga-mmb

まだ試運転中ですが、覘いてみて下さい。

 

 

今回は、そんな訳で、写真入りの最後の記事になります。

京都ぶらり旅、番外編です。

京都2日目、ホテルの枕が合わなかったのか、ウトウトしてる間に夜が明けてしまいました。

しからばと・・・・・・・・早朝の京都を歩いてみます。

京都の街並みを少し裏通りに入ると、まだまだ古い家屋が残っていて、軒先には、こんな草木がさりげなく置かれていて、安らぎを感じます。

3101_r

ブラブラ歩いてると・・・・・・・西本願寺にたどり着きました。

正面の「御影堂門」をくぐって、境内に入ると、早朝にもかかわらず、かすかにお経が聞こえます。

境内には、こんな大きなイチョウの樹が、2か所ありますが、黄葉には早かったようです。

3109_r

西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区にある仏教寺院で浄土真宗本願寺派の本山です。山号は龍谷山(りゅうこくざん)。
西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」、宗教法人としての名称は「本願寺」で、京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれています。(ウィキペディアより)

渡り廊下を挟んで、右側が「阿弥陀堂」

3113_r

「阿弥陀堂」と「御影堂」を結ぶ渡り廊下です。

3114_r

そして、左側に「御影堂」

3115_r

「御影堂門」から入ったので、出る時はその隣の「阿弥陀堂門」から出てみました。

3119_r

堀沿いの光景です。

3125_r

この尾堀沿いを南に向かって歩いて、「唐門」の案内板があり、その道を進むとほどなく、国宝「唐門」があります。

3136_r

「唐門」

先に紹介した境内東側の「御影堂門」、「阿弥陀堂門」がそれぞれの堂への入口であるのに対し、唐門は書院(対面所)への正門です。

前後に計4本の控え柱をもつ四脚門形式で、屋根は檜皮葺き、正背面は唐破風造、側面は入母屋造の「向い唐門」です。

総漆塗り、各部各所を中国の許由と張良の故事を題材とした極彩色彫刻と鍍金金具で装飾されていて、装飾の細部を眺めていると、日が暮れるのを忘れてしまうということから「日暮門」とも呼ばれています。

3128_r

扉の装飾も見事です。

3135_r_2

「唐門」から、元に戻って、北の端には「太鼓楼」があります。

この「太鼓楼」は新撰組ゆかりの所で・・・・・・・・・・新撰組は壬生の八木邸、前川邸にあった屯所を1865年にここ西本願寺太鼓楼に移したのですが、新撰組隊士らはここで大砲などの武器の試し打ちを行ったため、西本願寺は迷惑を受けていたという。

3142_r

「太鼓楼」から今度は「東本願寺」に向かうつもりが・・・・・・何を寝ぼけたのか道を間違ってしまいとんでもない大回り!!(すぐ隣なのに・・・・weep

東本願寺「菊の門」

御影堂門の北方に大寝殿への表門として宗祖650年遠忌事業で建設され、四脚門,切妻造,檜皮葺で,前後に軒唐破風を付し,木部は総漆塗とする。設計は亀岡末吉で,全体は伝統的な四脚門の形式を踏襲しつつ,彫刻や木鼻絵様には近代的感覚が充溢しています。(ウィキペディアより)

3144_r

境内は、あちこちで修復作業中で、ゆっくり見学はできませんでした。

東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山の通称で、正式名称は、「真宗本廟」です。

堀川七条に位置する「西本願寺」(正式名称「本願寺」)の東に位置するため、「東本願寺」と通称されていますが、他に、「お東」、「お東さん」とも呼ばれています。

3148_r

東本願寺の塀沿いのイチョウは綺麗に色づいていました。

3154_r

道に迷ったものの、1時間ほどの早朝散歩、お腹もほどほどに空いて、朝のおかゆの和食が美味しかったぁ~!!

皆さんも、京都に行かれた折は、是非早起きして、京都の町を散策されてはいかがでしょう!

ポチッとよろしく!

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2014年11月29日 (土)

いよいよ「仁和寺」へ

食事を済ませた後、いよいよ、今回最後の訪問地「仁和寺」へ向かいます。

「龍安寺」から「仁和寺」までは、すぐの距離です。

仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院で、山号を大内山。本尊には阿弥陀如来が祀られており、開基(創立者)は宇多天皇。

まずは、正面入り口の「仁王門」

「仁和寺」のHPを引用すると・・・・(以下参照)

仁和寺の正面に建つ巨大な門で、高さは18.77mで重層、入母屋造、本瓦葺。門正面の左右に阿吽の二王像、後面には唐獅子像を安置します。同時期に建立された知恩院三門、南禅寺三門が禅宗様の三門であったのに対し、平安時代の伝統を引く和様で統一されています。

3293_r

「仁王門」をくぐって、先に行くと、右側には「五重塔」が見えます。

3261_r

「五重塔」周辺は、紅葉で奇麗でした。

3284_r

「五重塔」

寛永21年(1644年)建立。塔身32.7m、総高36.18mで東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴的です。初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられてます。

3264_r

仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。

応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失するという悲運に見舞われました。

応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、ようやく再興の機会が訪れます。『仁和寺御伝』によれば、同年7月24日、仁和寺第21世 覚深法親王は、上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。

そして、昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録されました。(HPより)

3286_r

「五重塔」の奥には、「九所明神」の社があります。

お寺に神社??????ちょっと不思議な感じですが・・・・・・・

仁和寺の伽藍を守る社だそうです。

3266_r

この社周辺も見事な紅葉が・・・・・・

3267_r

「金堂」の右側には、「経蔵」

寛永〜正保年間の建立で、宝形造、本瓦葺。正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を付け、禅宗様で統一されます。

3274_r

「金堂」の左側にある「鐘楼」周辺も、鮮やかな紅葉!!

この「鐘楼」は、入母屋造、本瓦葺で、「鐘楼」の「楼」とは元来二階建ての建物を指します。階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ、下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの覆いが特徴的です。

3280_r

ここ「仁和寺」は、「御室桜」でも有名で、「春はこの境内の奥に八重桜多し、洛中洛外にて第一とす、吉野の山桜に対すべし、…花見る人多くして日々群衆せり…」と記され、吉野の桜に比べて優るとも劣らないと絶賛されていて、数多くの和歌にも詠われています。

 

「仁和寺」出て、嵐電北野線でJR太秦駅経由で、京都駅へ・・・・・・・

3298_r

「御室仁和寺駅」は無人駅で、走る電車は1両のワンマン電車です。

3305_r

JR京都駅で、柿の葉寿司弁当を買って、いよいよ帰路につきます。

墓参りも含めて、わずか2日間の京都巡りでしたが、来年はどこを巡ろうかな……!!

ポチッとよろしく!

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2014年11月27日 (木)

龍安寺

「金閣寺」から「龍安寺」を経由して「仁和寺」に向かうには、バスを利用した方が早いのですが、今回は、「きぬかけの路」を歩いて移動することにしました。

「きぬかけの路」は、衣笠山の山裾を金閣寺から龍安寺を経て、御室仁和寺へと続く2.5キロの道の事で、御室仁和寺の開山、創建者である第50代宇多天皇(867~931)が、真夏に雪見を思い立ち、衣笠山に白い絹を掛けられたとの古事に由来してるそうです。

ロマンチックな路を想像していたのですが、普通の道路で、ちょっとイメージとは違います。

途中「等寺院」へ寄り道するコースもありますが今回は、直接「龍安寺」へ・・・・・・のんびり歩いて20分程。

途中の「立命館大学」付近見つけた断層。綺麗に露出していて赤銅色が綺麗ので、思わずパチリ!!

3217_r

途中、少し坂道もありますが、心地よいウォーキング気分で「龍安寺」に到着。

拝観受付をして、山門をくぐると左手には「鏡容池」があり、その岸辺には見事な紅葉が見られます。

3220_r

さらに奥に進むと、社務所付近はまだまだ青々としたモミジが多く、これが真っ赤に紅葉すれば、さぞかし綺麗でしょうね。

龍安寺(りょうあんじ)

京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院で、妙心寺の境外塔頭寺院です。

石庭で知られ、山号を大雲山と称し、本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承です。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。

3225_r

そして、あの有名な「石庭」。

「金閣寺」と違い、人も少なく、ゆっくり座って観賞することが出来ました。

残念ながら、広角レンズが無い為に、全景は撮れません。(全景は、パノラマ写真で撮ったものをトップのタイトルバナーに載せてますので、そちらを・・・・)

3230_r

方丈庭園、「龍安寺の石庭」

幅 22メートル、奥行 10メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所、点在させただけのシンプルな庭です。

最大の特徴は、「水を感じさせるために水を抜く」ということで、水を見立てられるようなものに作られていて、白砂も大海をイメージし、岩は島というより山をイメージしてるそうです。

15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されていると云われていますが、中の部屋から1ヶ所だけ15個の石全てが見える位置があるそうです。

次の写真は、モノクロにした、一番真ん中の石。

3232_r

庭の先にはこんな綺麗な紅葉も見れました。

3239_r

方丈を出て、今度は回廊式庭園へ・・・・・

最盛期の龍安寺には塔頭が21か寺、軒を連ねていたと云われていました(現存するものは3か寺)。

『都名所図会』のような絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)には、当時、龍安寺の池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりもむしろ、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が著名であったそうです。(以上、ウィキペディアより)

3241_r

「龍安寺」を出る頃には、そろそろお腹も減ってきたので、歩きながら店を探してると・・・・

「きぬかけの路」沿いに、一見、喫茶店風のこんな店を見つけました。

3256_r

無添加そば粉100%が売りのソバ屋さんらしい。

恐る恐る、中を覗いてみると、なぜか、狭い店内に、ジャズっぽい音楽が流れています。

しかも、懐かしい真空管アンプから・・・・・

そして、店内では目の前で、店主がソバを打っています。これにはビックリ!!

3257_r

案内されるままに、テーブルに座って店主お薦めの品を注文。

私は、もちろん、にしん蕎麦

ところが、暖かいにしん蕎麦ではなく、冷たいにしん蕎麦。さすがに初めてです。

もちろん、暖かいにしんそばもあるのですが、100%打ちたてのソバは、柔らかくなってしまうので、冷たい方が美味しいとのこと。(もちろん暖かいのもありますが、打ちたてではない?)

3254_r

女房殿は、手打ち蕎麦

とろろと生卵が付いていて、蕎麦のあとで出るご飯に、残った汁をかけて食べると最高!!

3255_r

店主こだわりのお蕎麦屋さんですが、蕎麦の香りを感じながら美味しい蕎麦を頂きました。

お腹もいっぱいになって、いよいよ今回の最終訪問地、「仁和寺」に向かいます。

ポチッとよろしく!

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2014年11月22日 (土)

金閣「鹿苑寺」

翌17日、案じていた天気も、薄曇りで、何とか変えるまで持ちそうな雰囲気です。

この日は、ホテルでゆっくり朝食後、バスに乗って金閣寺に向かいます。

月曜日だというのに、バスは観光客でいっぱい。

参道の入り口付近から、大文字が良く見えます。

3158_r

参道付近は、予想に反して、見事な紅葉でした。

3162_r

「総門」をくぐると、左手に「鐘楼」があり、紅葉が綺麗です。

3171_r

中に入ると・・・・・・すぐあの有名な「金閣」がみえます。

撮影ポイントには、たくさんの観光客。

金閣寺の正式名は「鹿苑寺」

3176_r

「鹿苑寺(ろくおんじ)」

鹿苑寺は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺で、建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣(きんかく)、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺(きんかくじ)として知られています。

相国寺の山外塔頭寺院で、寺名は開基(創設者)である室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿にちなんでつけられてます。

山号は北山(ほくざん)、寺紋は五七桐。

義満の北山山荘をその死後に寺としたもので、舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築であったが、昭和25年(1950年)に放火により焼失し、昭和30年(1955年)に再建されました。

平成6年(1994年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成資産に登録されています。(ウィキペディアより)

3185_r

金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。

3186_r

金閣寺、銀閣寺がともに相国寺の塔頭寺院であることは、あまり一般に知られていないのではないでしょうか。

相国寺は室町幕府三代将軍 足利義満により創建され、金閣寺もほぼ時を同じくして義満により創建されました。銀閣寺はその後年、同じく室町幕府八代将軍である足利義政により創建されています。。(「鹿苑寺HPより)

3188_r

池の反対側の紅葉も綺麗です。

3193_r

陸舟(りくしゅう)の松

方丈北側にある足利義満手植えと伝えられる松で、京都三松の一つとされています。

船の形をしていて、義光自身が植えたとされています。

3200_r
池を回り込んだ位置からの金閣です。
3199_r

さらに回り込んで、裏側(?)から見た「金閣」

3203_r

こちらは、高台にある「夕佳亭」にかかる紅葉

3212_r

この金閣寺を訪れたのは、何年前だったでしょうか。おぼろげながら覚えていた光景とあまり違和感がないのは、その時の印象がかなり強かったからかも知れませんね。

金閣寺を出た後は、「きぬかけの路」を歩きながら、こんどは「龍安寺」に向かいます。

ポチッとよろしく!

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2014年11月20日 (木)

京都巡り1日目(宇治平等院)

11月16日(日)~17日(月)、毎年恒例の、墓参りを兼ねた京都観光。

17日の天気予報が、雨模様だったので、心配したのですが、普段の行いが良かった(?)のか、雨も降らず、快適(?)な京都散策でした。

今回のコースは、1日目は、墓がある「黄檗(おうばく)」を訪れて、1年ぶりの墓参りを済ませた後、宇治の「平等院」を巡り、夕刻、妹弟夫婦たちと1年ぶりの食事の予定。

2日目は、「金閣寺」から「きぬかけの路」を歩きながら、「龍安寺」・「仁和寺」を訪れてみました。

今回の旅のお供は、ミラーレスカメラのみ、楽でしたよ。

 

今回は宇治の「平等院」です。

京都駅から宿泊予定のホテルに荷物を預けて、JR奈良線で「黄檗」に向かいます。

ほぼ、1年ぶりの墓参りを済ませた後、JR奈良線「黄檗」から、今度は、京阪電車宇治線の終点「宇治駅」で降り、そのまま「宇治橋」を渡ると、参道に続きます。

お茶の香り漂う参道を進むと、間もなく、「平等院」。この日は日曜日のためか、観光客でいっぱい!

旅の途中でも、やっぱり、鳥が気になりますね。宇治川にはたくさんのサギ達が群れていました。

2984_r

早速、「平等院」の中に入ってみますね。

入り口を入って、鳳凰堂の正面右から、池をぐるっと回りながら歩いてみます。

2996_r

「平等院」

平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院です。

平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。

山号を朝日山と称し、宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっているそうです。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊。(以上、ウィキペディアより)

平等院のHPには、

1000年の歴史
ときの権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業をその子頼通が、永承7年(1052)にこれを仏寺に改め、平等院としました。永承7年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。その翌年の天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられた。・・・・・・・・・とのこと。

2999_r

私達には、10円硬貨の表面に刻まれてる「鳳凰堂」の方が身近に感じますね。

平等院鳳凰堂は天喜元年(1053年)に建立された阿弥陀堂ですが、「鳳凰堂」の呼称は後世のもので、平安時代の記録では「阿弥陀堂」あるいは単に「御堂」と呼ばれていたそうです。

堂内須弥壇の格狭間に嵌め込まれた金銅板の延宝8年(1680年)の刻銘に「平等院鳳凰堂」とあり、江戸時代には「鳳凰堂」の呼称があったことがわかるそうです。(ウィキペディアより)

平成24年(2012年)から平成26年(2014年)3月31日まで屋根の葺き替え・柱などの塗り直し修理が行われていたため、この間、鳳凰堂内部の観覧は出来なくなっていましたが、平成26年10月1日、修理工事が完了したので、真新しい「鳳凰堂」。

私には、前の「鳳凰堂」の方が、歴史を感じさせて、良かったような気がしますが、あと数百年もたてば、そんな姿が見られるのでしょうか。

3002_r

この日は、残念ながら「鳳凰堂」内の見学は、時間的に締め切られてたため、中には入れませんでした。

仕方なく、池の周りをぐるっとまわりこんで、「鐘楼」を経由して、「鳳凰館」に向かいます。

3011_r

3021_r

「鳳凰館」は、平成13年(2001年)にはそれまでの「宝物館」に代わり、「平等院ミュージアム鳳翔館」としてオープンしたもので、平等院ゆかりのものが、たくさん展示されていますが、この日は、修学旅行生や観光客が多すぎて、とても見学どころではなく、素通りしただけ・・・・・

裏の「大書院」の前のモミジが綺麗でした。

3027_r

「鳳凰堂」の屋根には鳳凰像が飾られています。

この鳳凰像は、2004年(平成16年)11月1日より発行 壱万円裏面に、印刷されていますね。

3031_r

平等院」を出た後、宇治川沿いを上ると、中の島と宇治神社を結ぶ「朝霧橋」があります。

この朝霧橋を対岸に渡り、再び宇治川沿いを下ると、京阪電車「宇治駅」に出ます。

3045_r

その途中で立ち寄った喫茶店、レトロなムードの中で、宇治川を眺めながらコーヒーで一息つきます。

3056_r_2

そして、宇治駅からは、京阪電車「中書島」経由で「祇園四条」へ……

懐かしい色の電車に乗って・・・・・・・(実家はこの京阪電車沿線にあったんです)

3072_r

京阪電車「祇園四条」駅で降りると、すぐ前が「京都南座」があり、その反対側の四条大橋西詰南側に、北京料理「東華菜館」が見えます。

古い洋館形式の建物ですが、この建物は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計1926年竣工で、登録有形文化財になっています。

また、同店のエレベータは1924年OTIS製の日本に現存する最古のエレベータだそうですよ。

3077_r

妹弟夫婦とは四条大橋西詰で合流。    四条大橋の上も、人・人・人・・・・・・・・

1年ぶりの再会でしたが、話の話題は、やはり年金や健康の話が中心!(笑)

食事の後は、少し四条大宮あたりを散策した後、ねぐらのホテルへ向かいます。

京都駅構内には、はやばやと、クリスマスツリーが、飾られてました。

3084_r

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く

ポチッとよろしく!

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2014年9月 5日 (金)

行田の田圃アート

前から一度行ってみたかった「行田の田圃アート」、月も変わった9月2日、思い切って行って見る事にしました。

埼玉県行田市は、あの暑い町で有名な熊谷市の隣の町、「さきたま古墳」や「古代ハス」、「のぼうの城」などで知られてる人口84,000人ほどの市です。

古くは『万葉集』に「さきたまの津」という記述があり、『風土記』にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」とあるように、「埼玉県」という地名の発祥地であるとされています。

前にも書いたのですが、私のブログ「さきたまの自然日記」の≪さきたま≫とは、この埼玉の事なんです。

その行田市にある「古代蓮の里」の東側の田圃に造られた「田圃アート」が今回の目的。

現地に着いたのは午前10時過ぎ。(この時間帯が結果的に大失敗)

早速、入場料400円を払って、「古代蓮会館」に入場し、約50メートルの展望台に上がります。

この田圃アートは今年で7年目とか・・・・

今年は、市制施行65周年事業として、世界一の規模で描かれたそうで、今年の作品名は「古(いにしえ)の行田」

0562_r

中央には「国宝:金錯銘(きんさくめい)鉄剣」を掲げる仲睦まじい古人、その後方には世紀の大発見の舞台になった「稲荷山古墳」(写真ではちょっと分かり辛いですが・・・)、さらに右側には、全国唯一の出土品で行田郷土博物館所蔵の「重要文化財:旗をたてた馬形埴輪」を、縁起の良い「左馬」で、そして左側は、古代ロマンが華麗に咲く「天然記念物:行田蓮」が7種の稲で、描かれてます。(パンフレットより)

0567_r

実は、この写真を撮るのに大変苦労したんです。

展望台に上がった10時過ぎは、まさに逆光で、展望台のガラスの反射が強く、角度を変えながら何枚撮っても、どこか片隅には、反射影が・・・・・

本来、レンズをしっかりガラス面に密着させれば、反射が防げるはずなんですが、悪いことに、被写体は、かなり下に見えるため、どんな撮り方をしても、カメラは下向きにセットしなければならず、レンズの下部に隙間が出てしまいます。

中には、レンズの周りにタオルを巻いたり、PLを付けたり、中には傘でカメラを覆いながら撮る人まで出てきます。

しかしどんな方法で撮っても反射影は消えず!!

結局、11時半ごろまで待って、陽が高く上がったころ、日の当たらない場所から辛うじて・・・・・

馬形埴輪が、変な角度からしか撮れなかったのも、この為なんです。

0564_r_2

何とか、全景を撮り終えて、今度は1階にある展示コーナーを覗いてみます。

9598_r

ここには、蓮に関わる、いろんなオブジェがあって、蓮の事がよく分かります。

下の写真は、いろんな種類の蓮のアートフラワーでしょうか。

9592_r

その中の一つだけ撮ってみました。こんな蓮の花もあるんですね。

この「古代ハスの里」では、古代ハス池の行田蓮(古代蓮)以外に、水生植物園で、世界のいろいろな蓮の花を見る事が出来ます。

9593_r

そして、次は、たまたま廊下に何気なく飾ってあった「蓮の精」の人形。

どこにでもある西洋人形だと思いながら、写真に撮ってみると・・・・・

どなたの作品か分かりませんが、なかなか表情が豊かで、「蓮の精」にふさわしい姿形に感動!!

思わず、何枚か写真に収めた次第。

9575_r

9578_r

うるんだ眼が、何かを訴えてるようですね。

初めは1枚だけを載せようと思ったのですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9582_r

9587_r

9584_r

なんだか、「田圃アート」より、「蓮の精」の方が、メインになってしまいそうですが、この田圃アート、10月下旬まで開催されてるようで、稲が黄金に輝くと、また違った風に見えるそうで、お近くの方はぜひ足を運ばれてはいかがでしょう。

その節は、お昼頃が一番いいかも知れません。(特に晴天の時には)

また、日が傾きかけると、西日で、今度は展望台の影が出てくるようなので、ご用心ください。

天気がいい日だと、展望台から「と今日スカイツリー」や「富士山」も見えますよ。

下記サイトで、田圃アートに状況を見る事が出来ます。

http://www.city.gyoda.lg.jp/15/05/10/tanboart.html

ポチッとよろしく!

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2013年11月25日 (月)

京都を歩く・ライトアップされた高台寺

いよいよ京都歩きの最終回です。

「霊屋(おたまや)」からさらに小路を進むと・・・・「傘亭」「時雨亭」があります。

どちらも利休の意匠による茶席で、伏見から移したそうです。

「傘亭」の屋根は竹が放射状に組まれて、から傘を広げたように見えるからその名が付けられたとか・・・・・・

隣の「時雨亭」とは廊下でつながっています。

5388_r

5390_r

そろそろ午後5時ごろ、だいぶ陽が傾いて、ライトアップが始まる時間が迫ってきます。

「高台寺」から夕陽に染まる大雲院「祇園閣」が見えます。

「大雲院」は京都市東山区にある浄土宗系単立寺院で山号は龍池山。本尊は阿弥陀如来。寺内は通常は非公開だそうです。

その中に建てられた「祇園閣」は1928年(昭和3年)に建築された3階建ての建物で、大倉喜八郎が別邸とし建てた別邸「真葛荘」の一部である。

屋根は銅板葺きであるが、これは大倉が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ったためで、祇園祭の鉾を模したものだといわれています。(ウィキペディアより)

5402_r

午後5時過ぎから「方丈」から見下ろす方丈前庭の前で日暮れを待つことにします。

徐々に暗くなってくると・・・・ライトアップされた前庭が綺麗に映し出されてきます。

5419_r

5421_r

庭に敷かれたシートに書かれた蛍光色の紅葉や波型模様が綺麗です。

5425_r

5426_r

いよいよこれから闇夜に浮かぶ庭園などがライトに浮かびだされてクライマックスに達しようとした頃、、女房殿の寒気がいよいよひどくなってきたので、今回はここで断念。

残念ながら、早々にホテルに引き上げる事になりました。

5427_r

帰り際に撮った薄暮の庭園風景ですが、昼間とは全く違った趣があります。

5430_r

帰り際の「高台院」の門、この門を出て下ったところが「ねねの道」と云われています。

5440_r

ホテルへ帰った後は、風邪薬を飲んで、早々に寝たものの、翌朝になっても調子は戻らず、翌日予定をしていた金閣寺方面への散策を急きょ中止して帰ることになりました。

この続きは来年の今頃になりそうでしょうか・・・・・・

おまけは・・・・・・・・

翌朝ホテルの窓から見た東山方向から上る朝日です。

5453_r
帰宅後1週間ほどで、女房殿の体調も回復したのですが、その風邪をうつされたのか(?)その後、私が体調不良・・・・・(´;ω;`)ウウ・・・

皆さんも気を付けて下さいね。happy01

 

 

*タイトルバナーの鳥は関東では珍しいヘラサギです。

先日新聞に掲載されたため、この沼も人で賑わってます。いつまで滞在してくれるか分かりませんが、近いうちに載せる予定です。

ポチッとよろしく!

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2013年11月22日 (金)

京都を歩く・夕暮れの高台寺

「二年坂」を下ったちょうど突き当りが「高台寺」、駐車場の横には「霊山観音」の観音様が見えます。

振り返ると、雲間から日差しが射して、京都の街並みがシルエットで何とも言えない光景が・・・・

5326_r

ライトアップの時間にはまだ少し早かったのですが、早速「高台寺」の中に入ってみます。

入ってすぐの所には「遺芳庵(いほうあん)」があります。

高台寺を代表する茶席として知られ、灰屋紹益と吉野大夫好みの茶席と云われてます。

5333_r

「高台寺」

正式な名前は「高台寿聖禅寺」と云い、豊臣秀吉の菩提を弔うために、秀吉夫人の北の政所(ねね)が、慶長11年(1606年)に開創した寺です。

寛永元年7月(1624年)、建仁寺の三江和尚を開山として迎え、「高台寺」と号した。

造営に際して、当時の徳川家康は、政治的配慮から多大な財政的援助を行ったため、寺刊は壮麗を極めたといわれてます。(「高台寺」リーフレットより)

「方丈」の中から庭園を見て見ると・・・・・

5348_r

庭園の傍らには「開山堂」があります。

「開山堂」は第一世の住持、三江紹益禅師を祀る塔所です。

「開山堂」につながる渡り廊下の中ほど(写真の左の屋根が付いた部分)には「観月台」があり、観月するための部屋になっています。風流ですね。

5350_r

「臥龍池(がりょういけ)」にはほんのり色付いた紅葉が映ります。

5365_r

5369_r

「開山堂」から後で紹介する「霊屋(おたまや)」を結ぶ階段を「臥龍楼(がりょうろう)」と云い、上から見ると竜の背のようにうねってることからこの名前が付けられたそうです。

5372_r

「臥龍楼」を横から撮ってみました。

5375_r

「臥龍楼」を今度は「霊屋」側から撮ってみるとよく分かるのですが、かなりの傾斜があります。

5377_r

小高い丘の上には「霊屋」があります。

「霊屋(おたまや)」

秀吉と北政所が祀られていて、厨子内左右に秀吉と北政所の木像が安置されていますが、もちろん撮影禁止!!

中は、豪華な蒔絵が施され、世に「高台寺蒔絵」と称され桃山時代の漆工芸美術の粋が集められてるそうです。

外側だけでも、その豪華さが分かると思います。

5379_r

5381_r

5383_r

この頃から、女房殿・・・・・・「なんだか寒気がする!!」・・・・・・・云い始め・・・・・・どことなく元気がない!!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く!

*連載のためコメント欄は閉じてます。

ポチッとよろしく!

| | トラックバック (0)

2013年5月19日 (日)

南部領辻の獅子舞「辻の獅子舞」

Iさんから、「5月12日(日)10時から、見沼の鷲神社で獅子舞の行事があるよ!」と電話を頂き、当日早速出かけてみることに・・・・・

見沼地区は我が家から車で30分ほどのところには里山風景が残っていて、四季折々に花や鳥などが観察でき、自然豊かな田園地帯があります。
この見沼地区には沼地が多かったせいか、昔から竜神伝説が残っていて、今回の鷲神社の獅子舞以外にも「見沼竜神祭り」などが行われています。

1826_r

見沼自然公園の駐車場に車を止めて、疎水沿いをしばらく歩くと、目的の「鷲神社」があります。

ここは「ふるさとの森」にも指定され、境内にはヒキカキやスダジイ・エゴノキなど樹が茂り、この周辺ではバードウォッチングも楽しめます。

1714_r

そして、春と秋に行われる南部領辻の獅子舞「辻の獅子舞」は「竜頭の舞」とも言われて。さいたま市の無形民俗文化財に指定されています。

1769_r

言い伝えによると、今から900年くらい前、武将で笛の名手である新羅三郎義光(源義光)が、兄の八幡太郎義家(源義家)を助けるため奥州に下向した際、軍兵の士気を鼓舞するために行われ鷲神社に奉納されたものを、その後、土地の人々が習い覚えて今日まで伝えてきたものだそうです。

1919_r

なかなか勇壮な舞で、越後獅子に見られるようなものではなく、獅子頭も大きく、腹に抱えた太鼓も、かなり大きいものです。

舞い方も激しく、踊り手はかなりの体力が要求されそう!!

1886_r

3頭立ての「竜神の舞」が1時間近く行われます。

2285_r

1982_r

上と下の写真、敢えてスローシャッターで撮ってみました。

1877_r

5月の奉納の日は、境内で舞った後、村祈祷といって村内の家を廻り庭先で舞い、かつては全戸を廻ったそうです。最後は村境になる日光御成道の上で「おんだし」の祈祷があり解散するようですが、来年はこの村周りを是非見てみたいものです。

2065_r

2137_r
この伝統的な舞を復活させ、それを後世に伝えようとされている保存会の方々の並々ならぬご苦労が伝わってくる「辻の獅子舞」でした。

今回初めて6Dで動画を撮ってみました。

手持ちの割にはブレずに上手く撮れたと・・・・・・自画自賛???

                                        

*このところ、なんだかバタバタとしてて、撮ってきた写真の整理が進んでいません。

その為、アップする写真が少しずつずれてます・・・・・・・・・(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ・・・・・・

ポチッとよろしく!

| | コメント (15) | トラックバック (0)

2013年4月24日 (水)

日光巡り(パート2)

まずはお詫びから・・・・・・・・・・

前回載せた記事の「鼓楼」と「輪蔵」の写真を間違えて貼ってしましました。訂正してお詫び申し上げます。   (*_ _)人ゴメンナサイ

気をとり直して・・・・・・・・・陽明門をくぐると・・・・・・・・・・・

正面には小ぶりの白い「唐門」があります。

東照宮で最も重要な本社の正門で江戸時代には「御目見得(おめみえ)」(将軍に拝謁(はいえつ)できる身分)以上の幕臣や大名だけが使えたそうです。

全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。

0373_r
「唐門」から伸びる塀にも鮮やかな彫刻が施されています。

0397_r
さらに奥に進むと、奥社への参道入口である「坂下門」があり、その手前の潜門の上に左甚五郎の作と云われる「眠猫」の彫刻が見られます。(左甚五郎は架空の人物??)

想像してたより小さな彫刻です。

眠り猫の真裏には雀の彫刻があります。東照宮では猫も居眠りして雀と仲良く共存共栄をして、平和な時代がやってきたことを表しているという説もあるそうです。

東照宮のHPには、牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたと解説されていますね。

ここを入ると長い会談の登り坂が続き、奥宮に通じます。

さすがに、普段運動不足の身にはきつい坂道です。

0375_r
そしてたどり着いたところに、拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる御祭神のお墓所「奥宮」があります。

下の写真は「御宝塔」です。

宝塔に納められているのは家康公の神柩(しんきゅう)で建立以来、一度も開けられたことがないと云われています。

0382_r

宝塔を回り込んだ途中に、樹齢600年の「叶杉」があり、その祠に向かって願い事をすれば願いが叶うとか・・・・・

早速、たくさんのお願い事をしてきましたよ。(孫姫たちにはここ限定の「叶鈴守り」をお土産に・・・)

0384_r
そして元来た道を、今度は下って戻ることにします。

今度は「陽明門」の裏側から撮った写真です。

裏側にもおたくさんの彫刻が施されています。

Img_0398_r
もちろん裏側にもたくさんの花、鳥、獣などの彫刻が施されて綺麗です。

Img_0402_r
「陽明門」は特に時間をかけてみて見る価値がありますよ!!

東照宮の横道を進むと「日光二荒山(ふたらやま)神社」に通じています。

日光の特徴でもある高い杉の木立の間をのんびり歩くと気持ちが良いです。

0446_r
0453_r
関東平野北部、栃木県北西に立つ日光連山の主峰・日光三山を神体山として祀る神社で、日光三山は男体山(なんたいさん)(古名を二荒山ふたらさん)・女峯山(にょほうさん)・太郎山からなり、当社はそれぞれに神をあてて祀っています。

社殿は日光の社寺最奥の本社、中禅寺湖畔の中宮祠、男体山山頂の奥宮の3社からなり、創建は、上人が767年(神護景雲元年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされています。(ウィキペディアより)

0458_r
拝殿を背にして左側に「夫婦杉」、右側に「親子杉」があります。

「夫婦杉」は夫婦円満のご神木で、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)と田心姫命(たごりひめのみこと)だそうです。

0454_r
こちらは「親子杉」で、家庭円満の御神木です。

御祭神親子三神にちなんで根を一つにした三本杉です。

0455_r

この頃になるとお腹もすいて、時計を見ると、いつの間にか正午を過ぎていました。

ちょうど近くに、日光金谷ホテルがあったので、寄ってみることにします。

「日光金谷ホテル」は1873年(明治6年)6月開業の現存する日本最古のリゾートクラシックホテルとして、登録有形文化財、近代化産業遺産]に指定されています。

古いホテルだけに、外観は最近のホテルのようにはいきませんが、館内はなかなかお洒落です。

0475_r
二階から見たロビーです。

0477_r
昼食ランチは3500円。

女房殿は「霧降高原牛のストロガノフ バターライス添え」

私は、「若鳥と蟹入りスペシャルコロッケ トマトソース」

こんな感じです。

Dsc01377_r
ここで腹ごしらえした後は、折角なので、「華厳の滝」まで向かうことにします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く!

ポチッとよろしく!

| | コメント (14) | トラックバック (0)