そろそろココログの容量が心細くなってきました。
ココログ内では、新しいアカウントを取得できそうになく、只今、gooに引っ越すための準備をしています。
今、試運転中のため、正式なご案内は、次回にしたいと思いますが、もちろん、「ポチッと!」機能は残すため、ココログブログは、しばらく残して、「ポチッと!」していきたいと考えています。
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まだ試運転中ですが、覘いてみて下さい。
今回は、そんな訳で、写真入りの最後の記事になります。
京都ぶらり旅、番外編です。
京都2日目、ホテルの枕が合わなかったのか、ウトウトしてる間に夜が明けてしまいました。
しからばと・・・・・・・・早朝の京都を歩いてみます。
京都の街並みを少し裏通りに入ると、まだまだ古い家屋が残っていて、軒先には、こんな草木がさりげなく置かれていて、安らぎを感じます。
ブラブラ歩いてると・・・・・・・西本願寺にたどり着きました。
正面の「御影堂門」をくぐって、境内に入ると、早朝にもかかわらず、かすかにお経が聞こえます。
境内には、こんな大きなイチョウの樹が、2か所ありますが、黄葉には早かったようです。
西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区にある仏教寺院で浄土真宗本願寺派の本山です。山号は龍谷山(りゅうこくざん)。
西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」、宗教法人としての名称は「本願寺」で、京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれています。(ウィキペディアより)
渡り廊下を挟んで、右側が「阿弥陀堂」
「阿弥陀堂」と「御影堂」を結ぶ渡り廊下です。
そして、左側に「御影堂」
「御影堂門」から入ったので、出る時はその隣の「阿弥陀堂門」から出てみました。
堀沿いの光景です。
この尾堀沿いを南に向かって歩いて、「唐門」の案内板があり、その道を進むとほどなく、国宝「唐門」があります。
「唐門」
先に紹介した境内東側の「御影堂門」、「阿弥陀堂門」がそれぞれの堂への入口であるのに対し、唐門は書院(対面所)への正門です。
前後に計4本の控え柱をもつ四脚門形式で、屋根は檜皮葺き、正背面は唐破風造、側面は入母屋造の「向い唐門」です。
総漆塗り、各部各所を中国の許由と張良の故事を題材とした極彩色彫刻と鍍金金具で装飾されていて、装飾の細部を眺めていると、日が暮れるのを忘れてしまうということから「日暮門」とも呼ばれています。
扉の装飾も見事です。
「唐門」から、元に戻って、北の端には「太鼓楼」があります。
この「太鼓楼」は新撰組ゆかりの所で・・・・・・・・・・新撰組は壬生の八木邸、前川邸にあった屯所を1865年にここ西本願寺太鼓楼に移したのですが、新撰組隊士らはここで大砲などの武器の試し打ちを行ったため、西本願寺は迷惑を受けていたという。
「太鼓楼」から今度は「東本願寺」に向かうつもりが・・・・・・何を寝ぼけたのか道を間違ってしまいとんでもない大回り!!(すぐ隣なのに・・・・)
東本願寺「菊の門」
御影堂門の北方に大寝殿への表門として宗祖650年遠忌事業で建設され、四脚門,切妻造,檜皮葺で,前後に軒唐破風を付し,木部は総漆塗とする。設計は亀岡末吉で,全体は伝統的な四脚門の形式を踏襲しつつ,彫刻や木鼻絵様には近代的感覚が充溢しています。(ウィキペディアより)
境内は、あちこちで修復作業中で、ゆっくり見学はできませんでした。
東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山の通称で、正式名称は、「真宗本廟」です。
堀川七条に位置する「西本願寺」(正式名称「本願寺」)の東に位置するため、「東本願寺」と通称されていますが、他に、「お東」、「お東さん」とも呼ばれています。
東本願寺の塀沿いのイチョウは綺麗に色づいていました。
道に迷ったものの、1時間ほどの早朝散歩、お腹もほどほどに空いて、朝のおかゆの和食が美味しかったぁ~!!
皆さんも、京都に行かれた折は、是非早起きして、京都の町を散策されてはいかがでしょう!
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