いよいよ「仁和寺」へ
食事を済ませた後、いよいよ、今回最後の訪問地「仁和寺」へ向かいます。
「龍安寺」から「仁和寺」までは、すぐの距離です。
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院で、山号を大内山。本尊には阿弥陀如来が祀られており、開基(創立者)は宇多天皇。
まずは、正面入り口の「仁王門」
「仁和寺」のHPを引用すると・・・・(以下参照)
仁和寺の正面に建つ巨大な門で、高さは18.77mで重層、入母屋造、本瓦葺。門正面の左右に阿吽の二王像、後面には唐獅子像を安置します。同時期に建立された知恩院三門、南禅寺三門が禅宗様の三門であったのに対し、平安時代の伝統を引く和様で統一されています。
「仁王門」をくぐって、先に行くと、右側には「五重塔」が見えます。
「五重塔」周辺は、紅葉で奇麗でした。
「五重塔」
寛永21年(1644年)建立。塔身32.7m、総高36.18mで東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴的です。初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられてます。
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。
応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失するという悲運に見舞われました。
応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、ようやく再興の機会が訪れます。『仁和寺御伝』によれば、同年7月24日、仁和寺第21世 覚深法親王は、上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。
そして、昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録されました。(HPより)
「五重塔」の奥には、「九所明神」の社があります。
お寺に神社??????ちょっと不思議な感じですが・・・・・・・
仁和寺の伽藍を守る社だそうです。
この社周辺も見事な紅葉が・・・・・・
「金堂」の右側には、「経蔵」
寛永〜正保年間の建立で、宝形造、本瓦葺。正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を付け、禅宗様で統一されます。
「金堂」の左側にある「鐘楼」周辺も、鮮やかな紅葉!!
この「鐘楼」は、入母屋造、本瓦葺で、「鐘楼」の「楼」とは元来二階建ての建物を指します。階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ、下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの覆いが特徴的です。
ここ「仁和寺」は、「御室桜」でも有名で、「春はこの境内の奥に八重桜多し、洛中洛外にて第一とす、吉野の山桜に対すべし、…花見る人多くして日々群衆せり…」と記され、吉野の桜に比べて優るとも劣らないと絶賛されていて、数多くの和歌にも詠われています。
「仁和寺」出て、嵐電北野線でJR太秦駅経由で、京都駅へ・・・・・・・
「御室仁和寺駅」は無人駅で、走る電車は1両のワンマン電車です。
JR京都駅で、柿の葉寿司弁当を買って、いよいよ帰路につきます。
墓参りも含めて、わずか2日間の京都巡りでしたが、来年はどこを巡ろうかな……!!
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