京都・奈良、駆け足道中記パートⅡ
15日早朝、朝食までの間、ホテルの周辺をぶらぶらしてみます。
ホテルのすぐ前には、「本能寺」があります。
1582年6月21日、織田信長が明智光秀に打たれた「本能寺の変」で有名ですが、法華宗本門流の寺院で、本尊は日蓮が定めた久遠常住具足の「南無妙法蓮華経」の十界曼荼羅です。
ここから三条通りに向かう途中には、「豊臣秀次公の墓所」もあります。
そして三条通りを左に曲がり、「三条大橋」に向かう途中左側には1864年7月8日の「池田屋騒動」で有名な池田屋跡があります。
池田屋事件(いけだやじけん)は、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件です。
元の池田屋は人手に渡り、その後別の経営者が佐々木旅館として営業していて、1960年頃まで当時の建物も遺っていたが、その後取り壊され佐々木旅館も廃業。跡地はテナントビルやパチンコ屋など転々としたが、2009年に居酒屋チェーンのチムニーが居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」を開業しています。(ウィキペディアより)
なんだか、昔の頭のイメージとかけ離れた建物になってました。
ここから少し歩くと「三条大橋」です。
江戸時代には東海道につながる橋として幕府直轄の公儀橋として位置付けられたが、現在の橋は1950年に作られたものです。
鴨川沿いには「鴨川をどり」で有名な「先斗町歌舞練場」があります。
朝食後、午前8時すぎ、いよいよJR奈良線で「黄檗(おうばく)」に向かいます。
JR奈良線は一部複線化してますが、単線部分もあり本数も少なく、京都から奈良へ行くには並行する近鉄奈良線の方が便利です。
しかし、お墓のある「黄檗」にはこの線しか行けません。
1年ぶりの墓参りを済ませて、こんどはそのまま奈良へ行くことにします。
さらにJR奈良駅から「唐招提寺」まではバスです。
京都と比べて、奈良の方が観光客も少なくゆっくり回れます。
南大門の方から入りますが、平日の月曜日と云えど、人はまばらでちょっと得をしたような気分です。
唐招提寺(とうしょうだいじ)
奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院で南都六宗の1つである律宗の総本山です。
本尊は廬舎那仏で、井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を初め、多くの文化財を有し、1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。
南大門を入ると・・・・・・・正面に「金堂」があり、一瞬ドキッとします。
人が少ないせいか、シーンとした佇まいは威圧感さえ感じます。
金堂
国宝。2000年から解体修理(「平成の大修理」)が行われ、2009年11月1日~3日に落慶行事が行われました。
寄棟造、本瓦葺きで、大棟の左右に鴟尾が飾られ、このうち西側の鴟尾は創建当初のもので、東側は鎌倉時代の元亨3年(1323年)の補作であったが、いずれの鴟尾も劣化が甚だしいため、平成の大修理に伴い、屋根上から下ろして別途保管することとなり、屋根上には新しい鴟尾が飾られています。
そして「金堂」を右手に回ると・・・・・・「鼓楼」があります。
その左(金堂の裏手)には「講堂」
この「講堂」も国宝で、入母屋造、本瓦葺き。正面9間、側面4間。
平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴って移築されたそうです。
奈良時代宮廷建築の唯一の遺構として極めて貴重で、堂内には本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)が安置されています。
奥に向かう土塀に秋の日差しが柔らかです。
「鼓楼」の横には「礼堂」があります。(右の建物です)
隣の鼓楼(舎利殿)に安置された仏舎利を礼拝するための堂として礼堂(らいどう)と呼ばれる。礼堂内には清凉寺式釈迦如来立像(重要文化財)と日供舎利塔(重要文化財)を安置されています
京都のお寺のようにあまり見物の人もいない為か、のんびり回ることが出来ました。
この後はものんびり田園風景の中を歩きながら「薬師寺」に向かいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く
この後、奈良「薬師寺」、京都「東寺」が続きますので、今回はコメントを閉じてます。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- いよいよ「仁和寺」へ(2014.11.29)
- 龍安寺(2014.11.27)
- 京都番外編(西本願寺・東本願寺)(2014.12.01)
- 金閣「鹿苑寺」(2014.11.22)
- 京都巡り1日目(宇治平等院)(2014.11.20)
最近のコメント