m(. ̄  ̄.)mス・スイマセーン
訂正:鷹の名前をシロハヤブサに訂正しました。
ヒヨドリのホバを撮って帰ろうとした時、珍しいシロハヤブサの訓練に遭遇しました。
シロハヤブサが鷹匠の手に・・・・・・・

本題に入る前に、ちょっと鷹狩(たかがり)の豆知識です。(ウィキペディアより)
もともと、鷹狩(たかがり)とは、タカ科のオオタカ、ハイタカ、及びハヤブサ科のハヤブサ等を訓練し、鳥類やウサギなどの小動物を捕らえさせ、餌とすりかえる事で、捕った獲物をタカがあるじの元に運んでくるというのはまちがいだそうです。
こうして鷹を扱う人間は、鷹匠(たかじょう)と呼ばれ、鷹を訓練する場所を鷹場(たかば)と称されます。
日本では支配者の狩猟活動は権威の象徴的な意味があり、古墳時代の埴輪には手に鷹を乗せたものも存在するから不思議ですね。
古代は天皇や公家が愛好者で、中世になって武家の間でも行われ始めたそうで、武家においても、諏訪大社や二荒山神社への贄鷹儀礼と結びついて、禰津流、小笠原流、宇都宮流等の鷹術流派が現れ、禰津信直門下からは、屋代流、荒井流、吉田流などが分派してさまざまな流派が現れたようです。
戦国武将の間でも鷹狩が広まったが、特に徳川家康が鷹狩を好んだのは有名だそうです。
5代将軍・綱吉は動物愛護の法令である「生類憐れみの令」によって鷹狩を段階的に廃止したが、8代将軍・吉宗の時代に復活。
明治維新後、鷹狩は大名特権から自由化され、1892年の「狩猟規則」及び1895年の「狩猟法」で9年間免許制の下に置かれたが、1901年の改正「狩猟法」以後、狩猟対象鳥獣種・数と狩猟期間・場所の一般規制のみを受ける自由猟法として今日に至ってるそうです。

鋭い眼をしてます。そして、さっと手を離れます。

この日は、餌を捕る訓練というより、離したシロハヤブサを呼び寄せる訓練のようです。
以前、富士花鳥園でフクロウやハリスホークのショーを見たことありますが、雰囲気が全然違います。

放たれたシロハヤブサは上空を旋回した後、どこかに飛び去っていきます。
そのままどこかへ遁走するのでは・・・・??見てるこちらの方がハラハラドキドキ!!
じっとその様子を見ていた鷹匠が、おもむろに笛を吹きます。
すると音もなく旋回しながら戻ってきます。

そして鷹匠が投げた疑似餌に飛びかかります。
その後鷹匠が持参してる餌(鳥肉)とすり替えて、手の上へ・・・・・

シロハヤブサをよく見てみると尾羽の根元には小さな発信機がついてるようです。
訓練中にどこかへ飛び去って分からなくなったときは、この発信機を頼りに探すようですね。
もちろん発信機は訓練の時だけ付けてるようです。
訓練が終わると頭に頭巾(フード)を被せるとじっと大人しくしてます。
なかなかこんな訓練を見ることはできないので、今回は偶然にも良い経験をさせてもらいました。
毎年1月2日に浜離宮で諏訪流放鷹術(ほうようじゅつ)の実演が行われるのですが、一度行ってみたくなりましたね。
興味のある人は「日本鷹匠協会」のホームページもどうぞ!
http://www.jfa.gr.jp/falconers/index.htm
*鷹の訓練を見た瞬間の印象でオオタカだと思ったのですが、思い込みだったようです。
てっちゃんから教えてもらい、改めて調べてみると、やっぱり・・・・・・・ヾ(_ _*)ハンセイ・・・
改めてて訂正いたしました。
てっちゃん、有難うございました。
(余談)・・・・・・・・上記のチョンボに引き続き本日の大チョンボ!!
今日は朝からいそいそとK自然公園へ・・・・
途中でカメラの予備バッテリーを忘れたことに気がついたのですが、カメラ本体の装着分で間に合うだろうとそのまま現地へ行きました。
ところが・・・・・・現地についてカメラを確認すると・・・・・・・バッテリーが入ってない
そういえば、今回に限って、バッテリーの消耗を防ぐために外していたんです。こんな時に限ってデジイチも持ってないんです。
結局、双眼鏡片手にBWです。
シジュウカラ・カシラダカ・モズ・シメ・アカハラ・シロハラ・クイナ・キジ・エナガ・シジュウカラ・アオジ・マガモ・コガモ・ツグミ・ヒヨドリ・カケス・ガビチョウ・ウグイスなど・・・・・
タシギは見つかりませんでした。タシギがいた湿地帯の畔道の入り口には新たにロープが張られたところをみると、誰か写真撮るために近付き過ぎたのかも知れませんね。
*パソコンの入れ替えに時間がかかりそうなので、この後、更新が遅れるかもしれません。(データの移動が大変なんです。)
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